第ニのエルヴィス、新ジェームス・ディーンとも言われ、その美しい顔立ちと繊細な演技で多くの人を魅了した早逝の俳優リバー・フェニックス。
亡くなってから30年経った今でもその存在感は色あせる事はありません。
彼が有名になるきっかけともなった『スタンド・バイ・ミー』は日本でも大ヒットとなり青春映画の金字塔と言われるほどの名作の一つとなりました。
今回はそんなかっこよすぎる幻の俳優
◎リバー・フェニックスの身長や本名、生い立ち、宗教
◎リバー・フェニックスが死んだのは何歳の時か、生きてたら何歳か
◎リバー・フェニックスの弟ホアキン・フェニックスについて
◎リバー・フェニックスの出演作品や遺作となった映画
をかっこいい画像と共にご紹介したいと思います!
リバー・フェニックスがかっこいい!身長は?本名は?
リバー・フェニックス 身長は意外と高かった!
リバー・フェニックス River Phoenix の身長は178cmです。
リバー・フェニックスはハンガリーとロシアの血を引いているので両国の成人男性の平均身長を調べてみたところハンガリーは176cm(参考:calciumgumi.jp)、ロシアは177.2cm(参考:world-note.com)でした。
そして生まれであるアメリカの成人男性の平均身長は176.3cmでした。(参考:calciumgumi.up)
つまりリバー・フェニックスはロシアの成人男性の平均身長とほぼ同じだということがわかりました。
もう少し低いかな、と思ってましたが私が想像していたよりも高かったです。
なんたってリバー・フェニックスの出演作の半分が10代の頃のものでまだ大人になりきれてない「少年」、「青年」というイメージが強かったもんですから身長のほうもあまり高くないと勝手に思い込んでいました。
ちなみに日本人男性の俳優さんで178センチの身長の方には
山崎健人さん
賀来賢人さん
田中圭さん
福士誠治さん
などがいらっしゃいました。
リバー・フェニックスの本名は?
リバー・フェニックスの本名は
リバー・ジュード・ボトム River Jude Bottom
でしたが、両親が宗教団体「神の子供たち」を脱退してからは
リバー・ジュード・フェニックス River Jude Phoenix
と改名しています。
ジュードとはビートルズの「Hey Jude」からとっているそうです。
そして「リバー」はドイツ人作家ヘルマン・ヘッセが1922年に出版した傑作『シッダールタ』に出てくる川からとったもので、この本の内容というのが
「悟りの境地を開くため厳しい修行に打ち込むも涅槃(本能からの解放)に達することができないシッダールタだったが仏陀が涅槃に達したと国中に広まりその姿を目にしたシッダールタは畏敬の思いに駆られたがその後は宗門に加わらず自らの手段で悟りの境地を目指す。そして結局シッダールタは船乗りの男のもとで川の流れに魅せられ、あるがままを愛する境地を見出した。」
というものでリバーの名前はこの時の川からつけられたんだそう。
まさか「リバー」という名前が宗教から来ていたとは。
さすが宣教師の親らしいですよね。
ちなみに「フェニックス」と改名したのはカルト教団から脱退し、「人生の再生」という意味を込めてとのこと。(フェニックスとは寿命を迎えると自ら炎に飛び込み、そして再び蘇る不死鳥。)
リバー・フェニックスの生い立ちが壮絶!「神の子供たち」がヤバかった!
ここからはリバー・フェニックスの壮絶な生い立ちと両親が入信していた宗教団体「神の子供たち」についてご紹介します。
リバー・フェニックス 両親がヒッピーから宣教師へ
リバー・フェニックスは1970年8月23日、当時ヒッピーとして農場など各地を転々としながら貧しい生活を送っていたジョン・リー・ボトムとアーリーン・シャノン・デュネッツの間に長男として生まれました。
両親が麻薬から抜け出すためカルト宗教団体「神の子供たち」に入信すると宣教師としてメキシコやプエルトリコ、南アメリカなど南米各地を転々としました。(その間に長女のレイン、次男となるホアキン、次女となるリバティーが生まれています。)
ベネズエラのカラカスではまだ5歳という歳で妹のレインとともに舞台で歌を披露し、その後も稼ぎの少ない両親と幼い兄弟のために肉体労働や路上パフォーマンスなどをして生活費を稼いでいたといいます。
リバー・フェニックス「神の子供たち」から性的虐待を受けていた!?
両親が入信していた「神の子供たち」は実は大人、子供に限らずセックスを奨励していた団体であり、「古い道徳観からの解放」を謳って日常的に子供たちに性的虐待をしていたことがわかっています。
リバー・フェニックスも子供の頃その被害に遭っていたようで、のちに
「4歳の時には童貞を失った。でもそれをさせないようブロックしていた。」
と1991 年に雑誌Datailsのインタビューで話し、
1994年にはEsquire に
「あいつらは気持ち悪い…あいつらは人の人生をダメにしている。」
と語っています。
しかし弟のホアキン・フェニックスは
「両親がそれに気づかないほど怠惰ではない。あれはリバーの冗談だった。」
と否定したそうです。
ですがホアキンはまだ幼かったでしょうし両親がこの宗教団体に入れ込んでいたとすればそのやり方に気付いていたけど何の疑問を持たずに従っていたのかもしれないですよね。
母親のアーリーンはのちに「神の子供たち」の脱退理由を宗教団体に幻滅したから、と言っていますが実際はメディアに出始めた指導者デビッド・バーグに嫌悪感を抱いたことで教団内部から批判を受けたためとも言われています。
リバーの言ったことは本当に冗談だったのか。
今となってはわかりませんが、何かしらこの教団に対して負の感情を抱いていたことは間違いないですよね。
でなきゃ冗談でも「人の人生をダメにしている。」なんて言わないはずです。
リバー・フェニックス ついにハリウッドの世界へ!
両親が「神の子供たち」を脱退しその後フロリダでしばらく暮らしている間に三女のサマーが生まれリバーは5人兄弟に。
学校へ行かせてもらえていなかったため初等教育を受けていなかったリバーとその兄妹たちはフロリダの学校で一から学問を学び始めます。
貧しい生い立ちや珍しい名前のせいもあってか学校ではいじめを受けていたというリバー・フェニックス。
そんな彼の唯一の楽しみは家のテレビで映画を見ることだったそうです。
そしてそのことから演技をする事に憧れを抱くようになり両親はその夢を叶えるためにフロリダを抜け出しハリウッドへ繰り出します。
最初は門前払いをくっていたようですが母のアーリーンがアメリカの商業放送テレビであるNBCでの仕事が決まるとタレント・エージェントであるアイリス・バートンIris Burtonに子供たちを売り込み子役としてデビューさせることに成功しました。
リバー・フェニックスのデビュー作は失読症の少年役!
とうとう子役デビューを果たしたリバー・フェニックス。
はじめは広告やテレビドラマに出演していました。
『Backwards:The Riddle of Dysiexia』というドラマでは失読症により勉強や行動に支障をきたしながらも周囲にはそれを隠し誤解されてしまうブライアン・エルズワース役を演じています。
なんだかとっても難しそうな役ですが実はリバー・フェニックスも子供の頃にまともな教育を受けさせてもらっていなかったため読解ができませんでした(文字は読めるけど理解できない)。
演じる役が自分と同じような症状のキャラクターだったっていうのは彼にとって都合が良かったかもしれませんが、でも文章を理解できないっていうのは俳優にとってかなり致命的なことですよすよね。
誰かに意味を教えてもらいながらやってたんでしょうか。
リバー・フェニックスが普通の俳優たちよりも大変な思いをしながら役作りしてたことは確かでしょうね。
ちなみにこの作品には弟のホアキン・フェニックスも弟役で出演してました。
その後、演技力を評価され美しい容姿も持ち合わせていたリバー・フェニックスは次々に映画への出演を果たし売れっ子俳優になっていきます。
リバー・フェニックスは何歳で死んだ?生きてたら何歳?
リバー・フェニックスが亡くなったのは1993年の10月31日で23歳の時。
映画『ダーク・ブラッド』の撮了前のことでした。
リバー・フェニックスが今も生きていたら53歳になっています。※2023年の誕生日(8月23日)で
53歳のリバー・フェニックス・・
一体どんな顔をしていたでしょうね。
渋さがプラスされてさらにかっこよくなっていたんでしょうか。
勝手な想像ですけど、あまり飾らず自然体だったイメージが強かったので不精髭なんか生やして意外とおっさん臭くなっていたかもしれませんね。
親友だったキアヌや弟のホアキンみたいに・・。
リバー・フェニックス 弟はホアキン・フェニックス!
リバー・フェニックスの弟は4歳年下の俳優ホアキン・フェニックスです。
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知っていたという人は多かったとは思いますが、ホアキン・フェニックスが『ジョーカー』でアカデミー賞主演男優賞を受賞しさらに知名度をあげてからこの事実を知ったと言う人もいたんじゃないでしょうか。
リバー・フェニックスと同じく子供の頃から映画に出演し、『ジョーカー』以外にも『グラディエーター』、『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』、『ザ・マスター』などで演技力を高く評価されました。
ホアキン・フェニックスにとってリバー・フェニックスはただの兄ではなく、自らが俳優を続けることを一番に願い後押しをしてくれた大きな存在でした。
ある日、リバー・フェニックスはホアキンに映画『レイジング・ブル』のVHSテープを観せ、翌朝もホアキンを起こしてもう一度観せたそうです。
そして、
「お前は演技をやるんだ。これがお前のやる事なんだよ。」
と、強くホアキンに俳優を続けることを勧めました。
この頃ホアキンは俳優として迷いがあり休業中。
リバーはホアキンの俳優としての才能をこの頃から、いや子供の時からわかっていたのかもしれません。
だからこそ俳優をやめてほしくなかったんでしょう。
ですからホアキン・フェニックスがアカデミー賞俳優として今あるのはリバー・フェニックスのおかげであると言ってもちっとも過言ではないわけです。
2019年にこのエピソードを話したホアキン・フェニックスは続けて
「素晴らしい人生を与えてくれた兄には感謝している。」
と話し、アカデミー賞を受賞した時のスピーチでもホアキンが17歳の時にリバーが書いた歌詞
「愛を持って救済へ迎え。そうすれば平和がその後を追うだろう。」
で締めくくっていました。
ホアキン・フェニックスの身長や出身、兄弟や出演作、似てる俳優を書いた記事はこちら↓
ホアキン・フェニックスと妻ルーニー・マーラ との出会いやルーニー・マーラについて書いた記事はこちら↓
ホアキン・フェニックスの口の傷やそれをいじった大物司会者についての記事はこちら↓
リバー・フェニックス ヴィーガンになったキッカケは魚だった!
リバー・フェニックスのみならずフェニックス一家全員がヴィーガン、つまり完全菜食主義者である事は誰もが知るところですが、彼らが動物性のものを一切取らなくなったきっかけは何だったのでしょうか?
これについて弟のホアキン・フェニックスはこう語っています。
「ベネズエラからマイアミに戻る貨物船の中で漁師たちによって釣り上げられた魚たちが無力に死んでいく様子を見て僕たちが食べていたのは甲板で無力にも殺されているかわいそうな生き物たちなんだ、と知りました。」
これを聞いて私がまず驚いたのはヴィーガンになるきっかけが牛や豚、鶏などでなく魚だったと言うことです。
哺乳類である牛や豚なら殺されるとき鳴き声をあげたり苦しみや痛みが表情に現れたりして「かわいそう」という感情が湧きますが、釣ったり、自分でさばく機会も多い魚に同情するってあんまりないですよね。
子供だって魚釣りは楽しんでやるものです。
その魚が死んでいくのを見て生涯生き物を口にするのはやめよう、という思いが7歳で芽生えるって凄くないですか?
実は私の実家は鮮魚店。フェニックス家とはお友達になれそうもないです。(笑)
そしてリバー・フェニックスもヴィーガンになることを決意したときの心境をこう話します。
「食べるためになぜ動物の命を奪わなければならないのか。ハンバーガーやホットドッグの中身が本当は何なのかを両親に聞くようになった。それからすぐに家族全員が他の生き物の自由に生きる権利を奪わないことを決め、ベジタリアンになった。でも僕たちが質問しなかったらこうはならなかっただろう。」
「あらゆる肉は殺戮によってもたらされているんだと十分に理解できる年齢に達した時、僕はその行為を弱きを支配し、骨抜きにしようとする人間の愚かな方法だと感じたんだ。学校でいじめる子たちが小さい子たちを支配する様子とそっくりだなって。」
幼い頃いじめを受けた経験もあったリバー・フェニックス。
弱い立場である動物たちの気持ちがわかるからこそこのような感情が生まれたんでしょう。
リバー・フェニックス 動物だけじゃない!自然保護活動にも尽力!
そしてリバー・フェニックスは動物愛護だけでなく自然保護活動家としても有名。
お金を稼いだら熱帯雨林を何千エーカーも買って自然公園を作りたい、とも言っていたそうです。
(実際パナマとコスタリカの国境に800エーカーの土地を購入しています。)
そして動物保護や自然保護、被災地へのチャリティ、難病に苦しむ子供たちのための児童基金に援助もしており、ファンの女の子からプレゼントを受け取る際は、
「今度はこのお金を自然保護などに使ってほしい」
とお願いしたそうです。
「お肉を食べること」と「自然破壊」を別に考えている人もいるかもしれないですが牛や豚を飼育するため、つまりその餌となる穀物を育てるために広大な自然が壊されて畑へと変えられています。
特に国土が広いアメリカはその規模が桁外れです。
アメリカ産のお肉は国産よりも安いので日常的に買っている方もいるかと思いますがそれはその自然破壊によって作られているのです。
リバー・フェニックスは食べられるために殺される動物たちをただかわいそうと思うだけでなく、人々がお肉を食べなくなることで自然破壊も抑えられることを望んでいたのかもしれません。
なんだかこの世界に舞い降りた天使のような人ですよね。
それなのに彼の人生は幼い頃から試練ずくめ。
神様が同情してあんなにも早くあちらの世界に連れて行ったのかもしれません。
リバー・フェニックスの出演作品や遺作をご紹介!
リバー・フェニックス 映画デビュー作でイーサン・ホークと共演してた!
1985年のアメリカSF映画『エクスプローラーズ』Explorers
あらすじ:
主人公ベンが夢で見た電子回路を友人のウォルフガングがコンピューターにプログラムしてみると謎の球体が出現。猫のいたずらがきっかけで部屋を大暴れする。翌日、ベンとウォルフガング、もう一人の友人ダレンと丘の上で再び実験。ベンがキーボードに触れたことでヴォルフガングが球体の中へと入ってしまい空や地下にまで飛びまわる。これを見たダレンはこの球体を使って宇宙船を作ることを思いつく。
リバーフェニックスはこの作品でコンピューターオタクのウォルフガング役を演じイーサン・ホークと共演。
イーサン・ホークと共に映画初出演を果たしています。
リバー・フェニックス『スタンド・バイ・ミー』が大ヒット!
1986年の青春ドラマ映画『スタンド・バイ・ミー』Stand by Me
あらすじ:
1959年、当時12歳だったゴーディ、クリス、テディ、バーンの仲良し四人組は不良だったバーンの兄のグループがレイ・ブラワーと言う少年が3キロ先の森の奥で列車にはねられそのまま放置されている、という話をしているのを耳にする。そして四人は有名人になろうとその死体を探しに行くことを思いつく。
リバー・フェニックスはこの作品で、グループのリーダー的存在でゴーディーに作家になるよう励ます正義感の強いクリス・チェンバーズ役で出演しています。
この作品は日本でも大ヒット!リバー・フェニックスの名を一気に広げ、このときの活躍のおかげでフェニックス一家は車を買えたといいます。
リバー・フェニックス『モスキート・コースト』でハリソン・フォードと親子役!
1986年のアドベンチャー映画『モスキート・コースト』The Mosquito Coast
あらすじ:
発明家のアリー・フォックスは画期的な発明も理解してもらえず欲にまみれた国を捨て家族をつれて中米のホンジュラスのモスキート・コーストと呼ばれる地へ移住する。そして着いた場所はジャングルの奥地で粗末な小屋と数人の住民がいるだけだった。不安がる家族とは反対にその未開の地に喜んだアリーは自分の夢を実現するためガイドのハディと家族、村人たちの協力を得て自分が発明した水の汲み上げ装置や散水装置を使い農園のある村へと生まれ変わらせた。
それから村でリーダー的な存在になっていたアリーは今度は巨大な冷却装置をつくりそれで氷を作り出すことに成功。未だ狩猟生活で暮らしているという部族に見せようと氷を背に息子を連れジャングルの奥地へと向かう。
リバー・フェニックスはこの作品で主人公の長男チャーリー役を演じ、主人公のアリー・フォックス役を演じたハリソン・フォードと妻役のヘレン・ミレン、マーサ・プリンプトンと共演しました。
1987年のロマンスドラマ映画『ジミーさよならのキスもしてくれない』Jimmy Reardon
あらすじ:
プレイボーイのジミーは行きたい大学に行かせてくれない両親から逃げ出したいと思っていたがあるトラブルのせいで進学はおろか街を出ることもできない。周囲の友人たちが旅立っていく中取り残された気持ちになったジミーはガールフレンドと一緒にハワイへ行こうと計画する。
リバー・フェニックスはこの作品で主人公ジミー役を演じました。
1988年のスリラードラマ映画『リトル・ニキータ』Little Nikita
あらすじ:
高校卒業後、両親に内緒で軽い気持ちで空軍士官学校に入学願書を出したジェフ。しかし、それがキッカケで両親が過去にスパイだったことがバレてしまう。それを知ったジェフは国と両親の間で葛藤する。
リバー・フェニックスはこの作品で主人公ジェフ役を演じ、シドニー・ポワチェやリチャード・ジェンキンスなどと共演しました。
リバー・フェニックス 『旅立ちの時』ピアノ演奏シーンにも注目!
1988年のヒューマンドラマ映画『旅立ちの時』Running on Empty
あらすじ:
反戦活動家だった両親を持つ17歳の谷は両親が過去に活動中人を死なせてしまっていたことから逃亡生活を余儀なくされていた。しかし同級生ローナとの出会いやピアノの才能を教師に認められたことなどから街を出たくないと初めて父親に反発する。
リバー・フェニックスはこの作品で主人公ダニー役を演じ、母親役のクリスティーン・ラーティーや父親役のジャド・ハーシュ、『モスキート・コースト』でも共演したローナ役のマーサ・プリンプトンなどと共演。
ナショナル・ボード・レビュー賞を受賞しました。
映画でのピアノの音は本人のものではありませんが、リバー・フェニックスは実際にピアノを弾いています。
個人的にリバーの出演作の中でストーリーも彼の演技力を観るにもこの映画が一番オススメです!
リバー・フェニックス 『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』でインディの少年時代役に抜擢!
1989年のアドベンチャー映画『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』Indiana Jones and the Last Crusade
あらすじ:
インディ・ジョーンズはある日遺物収集家で大富豪のドノバンにベネツィアで行方不明になった調査体調に代わって「キリストの聖杯」のありかを見つけてほしいと依頼され最初は断るが、行方不明になった調査隊長というのがインディの父ヘンリーだと知り彼を救出するためしぶしぶヘンリーの助手をしていた考古学者エルザを同行しベネツィアへと調査に向かう。
インディ・ジョーンズシリーズ3作目にあたるこの作品でリバー・フェニックスはボーイ・スカウトの活動中に「コロナドの十字架」を盗掘している男たちを偶然見つけそれを博物館に収めるため盗掘団と十字架を走る列車の上で奪い合う12歳の頃のインディ・ジョーンズを演じました。
主演のハリソン・フォードとは「モスキート・コースト』で親子役で共演しています。
その時のリバーの演技力が買われ、ハリソン直々の推薦でこのインディの少年時代に抜擢されました。
1990年のコメディ映画『殺したいほどアイ・ラブ・ユー』I Love You to Death
あらすじ:
ピザ屋の主人公ジョーイの浮気に気づいた妻のロザリーは車を爆破させようとするも失敗に終わりパスタに睡眠薬を大量に入れても効き目がない。自分に好意を寄せるバイトのディーヴォや殺し屋にもジョーイを撃たせるが結局失敗に終わってしまう。
リバー・フェニックスはこの作品でピザ屋のアルバイト、ディーヴォ役を演じ、主演のケヴィン・クラインや主人公の妻役を演じたトレイシー・ウルマン、ウィリアム・ハートやキアヌ・リーヴスと共演しました。
1991年の青春ドラマ映画『恋のドッグファイト』Dog Fight
あらすじ:
1960年代ベトナム出征前夜、海兵隊員たちは誰が最もブスな子をナンパしてこれるか競うゲーム「ドッグファイト」で盛り上がる。ゲームに参加していたエディはウェイトレスのローズに声をかけパーティーに誘う。顔はイマイチの彼女だったがそのピュアな心にエディは次第に惹かれていく。
リバー・フェニックスはこの作品で主人公エディ役を演じ、ローズ役のリリ・テイラーやブレンダン・フレイザー、エリザベス・デイリーと共演しました。
リバー・フェニックス『マイ・プライベート・アイダホ』親友キアヌと共演で男娼役!?
1991年の青春映画『マイ・プライベート・アイダホ』My Own Private Idaho
あらすじ:
突然眠りに落ちてしまう病なるこレプシーを患っていたマイクは男娼として毎日を送っていた。
ポートランドからシアトルに移りそこでエレーナというお金持ちの女性に拾われ家を訪れる。そこには男娼仲間で親友のスコットもいた。エレナと行為をしようという時マイクはナルコレプシーが発症してしまい家から出されてしまう。
ある日マイクは生き別れた実の母に会うためスコットのバイクで故郷のアイダホへと向かう。その途中焚き火の前で暖をとっているとマイクはスコットに愛の告白をする。
リヴァー・フェニックスはこの作品で主人公マイクを演じ、親友のスコット役を演じたキアヌ・リーブスやジェームズ・ルッソ、キアラ・カゼッリ、ウド・キアなどと共演しました。
リバー・フェニックス『スニーカーズ』でロバート・レッドフォードなど豪華キャストと共演!
1992年の映画サスペンスクライム映画『スニーカーズ』Sneakers
あらすじ:
大学時代、発見行為を行っていたコンピューターマニアの子頭下ビショップだったが現場に踏み込んできたFBIにコズモだけが逮捕されてしまう。
数年が経ち、ビショップは名前を変えて「スニーカーズ」なるグループを結成し、セキュリティの不備を指摘するという仕事をしていた。ある日そんなビショップたちの元へNSAの人間が現れビショップの過去の経歴を抹消する引き換えにどんな暗号でも解読できてしまうチップが入った黒い箱をある天才数学者から盗み出すよう命じられる。
監督は1989年の『フィールド・オブ・ドリームズ』でメガホンを取ったフィル・アルデン・ロビンソン。
リバー・フェニックスはこの作品で「スニーカーズ」のチームの一人カール・アボガスト役で出演。
主人公ビショップを演じたロバート・レッドフォードやシドニー・ポワチェ、ダン・エイクロイド、ベン・キングスレー、デヴィット・ストラザーンなどと共演しました。
今見ると「これ、コメディ?」と思うほどアナログな感じに見えてしまいますが、個性的なメンバーで作られたチームやセキュリティーシステムの突破という設定は『ミッション・インポッシブル』や『オーシャンズ11』を思わせます。
1999年の西部劇ホラードラマ映画『アメリカン・レガシー』Silent Tongue
あらすじ:
妻をなくし、半狂乱となり遺体から離れることができない息子タルボットのために牧場主のプレスコットは新しい妻を買い与えようとする。
リバー・フェニックスはこの作品で妻を亡くしたタルボット・ロー役で出演。
父親役のリチャード・ハリスやダーモット・マローニ、アラン・ベイツなどと共演しました。
リバー・フェニックス『愛と呼ばれるもの』で自作の歌を披露!
1993年のロマンスドラマ映画『愛と呼ばれるもの』The Thing Called Love
あらすじ:
カントリー歌手になるためのオーディションを受けにニューヨークにやってきたミランダだったが、数分遅刻したために受け損ねてしまう。地元のライブハウスでウェイトレスをすることになったミランダはそこで青年ジェームズに恋をし女優を目指すリンダやカイルと友情を深めていく。
リバー・フェニックスはこの作品でジェームズ・ライト役を演じ、ミランダ役を演じたサマンサも子子や、カイル役のダーモット・マローニー、リンダ役のサンドラ・ブロックと共演しました。
この作品はリバー・フェニックスの遺作の一つで作中では自作の曲を含めた数曲をリバー・フェニックス本人が歌っているシーンがある貴重な一作になっています。
リバー・フェニックス 遺作となった『ダーク・ブラッド』が解禁!
1993年の映画『ダーク・ブラッド』Dark Blood
あらすじ:
アメリカ西部の砂漠地帯。車の故障で動けなくなっていた俳優のハリーとバフィの夫婦は妻をなくしていた青年ボーイの家にたどり着く。次第にボーイはバフィとお互いの魅力に惹かれ合うようになるがハリーとは断るごとに衝突。三人の関係は徐々に緊迫感を増していく。
リバー・フェニックスはこの作品で主人公ボーイ役を演じていましたが、映画の製作途中に急死。
未完成のままお蔵入りになっていました。
しかし大病を患い自身の先が短いことを刺したジョルジュ・シュルイツァ監督が本作を完成させることを決意。
いろいろ課題はあったようですが撮影していなかった個所は監督がナレーションで補うなど何とかクリアし、公開が実現しました。
この時のリバーの印象は他の作品のときよりだいぶ痩せている印象でした。
髪型も金髪でも茶髪でもなく黒髪で五分刈りに近いショートヘアです。
ちょっと妖しく、でも美しく魅力的なキャラクターというのがまたリバーにはピッタリの役でした。
いかがだったでしょうか。
リバー・フェニックスの身長や本名、生い立ち
弟ホアキン・フェニックスのことや出演作、遺作についてご紹介しました。
こうやってリバー・フェニックスを振り返ると本当に儚く美しく散っていった、
そんな言葉が似合う俳優さんだった気がします。
美しいまま記憶に残るのはいい事かもしれせんが、どんなにおじさん臭くなってしまったとしてもリバー・フェニックスにはもっともっとたくさんの作品に出演してほしかったです。
きっと若い頃とはまた違った魅力を私たちに見せてくれていたに違いありませんからね。
もうリバーがこの世から去って30年という月日が経つのに、これだけ愛され続けている俳優も珍しいと思うので出演作をあまり観たことがないという方は今回紹介した作品で気になるものを是非チェックしてリバー・フェニックスの不思議な魅力にひたってみてください。
リバー・フェニックスの死因や亡くなる直前の状況、いつから薬物をしていたか書いた記事はこちら↓
リバー・フェニックスの彼女だった女性達や親友キアヌ・リーヴスとのこと、『タイタニック』や『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』に出演する予定だったことなどを書いた記事はこちら↓
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