2024年の9月。ネットでジェームズ・アール・ジョーンズという俳優さんが93歳で亡くなったという記事を見ました。
大きな体で威厳のある風格、そして可愛らしい笑顔が印象的でダース・ベイダーの声とか日本でも大ヒットしたエディ・マーフィー主演の『星の王子さま ニューヨークへ行く』で国王の役を演じていた俳優さんです。
ただ私にとってこの俳優さんの作品といえば
『フィールド・オブ・ドリームス』
何年経っても私の心の中に生き続けている名作の一つでジェームズさんは作家テレンス・マン役で出演していました。
今回はその
◎『フィールド・オブ・ドリームス』は実話なのか?
◎『フィールド・オブ・ドリームス』に登場するシューレス・ジョーやテレンス・マン、ムーンライト・グラハムは実在したのか
などをご紹介したいと思います!
『フィールド・オブ・ドリームス』は実話なのか?
単刀直入にいうと、
『フィールド・オブ・ドリームス』は実話ではありません。
原作者であるアイルランド系カナダ人作家のウィリアム・パトリック・キンセラがアイオワに住んでいる時、作家の集会に参加中に父親に聞いたブラック・ソックス・スキャンダルの話を思い出し
「現在のアイオワにジョー・ジャクソンが蘇ったらどうなるか」
を想像して書いたお話です
まぁこれが実話だと言われてもとうもろこし畑を潰して作った野球場にすでに亡くなっているかつてのプロ野球選手が野球をしに来た、なんて信じられませんけどね。
ただ作中に登場したこの映画のキーマン、シューレス・ジョーという野球選手は実在した人物です。
『フィールド・オブ・ドリームス』に登場するシューレス・ジョーってどんな人?
シューレス・ジョーは1908年から1920年までに3つの球団で活躍したアメリカ人の野球選手。
本名はジョセフ・ウォーカー・ジャクソン、通称ジョー・ジャクソンといって、ある試合で新しい靴が足に合わず靴下でプレーした(一日だけ)ことからシューレス(靴なし)・ジョーという愛称が付けられた大変人気のある選手でした。
しかし、
1919年にメジャーリーグベースボールのワールドシリーズでシューレス・ジョー含むシカゴ・ホワイトソックスの8選手が八百長に関わったとして球界追放処分を受けてしまいます。
この事件はのちにブラック・ソックス・スキャンダルといわれ野球界、そして野球ファンたちを騒然とさせました。
ホワイト・ソックス時代シューレス・ジョーはチームメイトの口利きでギャングから八百長を持ちかけられ5000ドルを受け取ったといいます。
しかし映画の中でレイが言っていたとおりシューレス・ジョーはお金は受け取ったものの試合でわざと負けるにはあまりにいい成績を残していました。
ワールドシリーズでは唯一の本塁打を打ち、エラーはなし。
生涯打率も三割五分六厘と史上3位の成績で殿堂入りまで果たしています。
2024年、9月時点で日本のプロ野球1位の打率を誇る選手でも三割一分六厘ですからその凄さがわかるかと思います。
『フィールド・オブ・ドリームス』八百長事件の真相とは?
現役時代大活躍していたはずのシューレス・ジョーはなぜお金を受け取ってしまったのでしょうか。
実はホワイト・ソックスのオーナーが選手たちの成績に見合った年俸を払っていなかったことが背景にあるようです。
当時リーグ優勝までしていたチームでしたがなんと年俸は最低。
能力を正当に評価されず報酬が不当に低いことへの不満から選手の誰かが試合を放棄することを思いつきます。
その後チームは賭博の対象となりそこにマフィアまで絡んだことで八百長疑惑が浮上。
シューレス・ジョーは試合にわざと負けたことは認められず有罪とはなりませんでしたが事件に関わったとして追放処分を受けてしまったというわけです。
年俸が低い上にユニフォームのクリーニング代さえ自費だったことから選手たちの靴下は汚れたまま。
そのことからブラック・ソックス・スキャンダルという名前が付いたんだそうでいかに給料をケチられていたか・・選手達が不憫でなりませんね。
もう少し軽い罰でも良かったんじゃないかと思ってしまいます。
ただ時代が時代というか、当時永久追放するような権限が判事にありその判事が球界の危機を見逃すことができないとして厳しい処分に踏み切るしかなかったようです。
シューレス・ジョー自身も元は南部の炭鉱労働者で野球もその会社のチームに所属していました。
つまり田舎生まれで世間知らず。野球以外は無知だった事も事件に巻き込まれた要因だったかもしれません。
『フィールド・オブ・ドリームス』球界追放後のシューレス・ジョー
シューレス・ジョーは野球界追放後ジョージア州のセミプロリーグで野球を続けそれからは故郷サウスカロライナ州でバーベキューレストランや酒屋を経営していたそうです。
その後1951年に心臓発作で亡くなりました。64才でした。
実は亡くなる二週間前に「トースト・オブ・ザ・タウン」というテレビ番組に出演予定でそこで真相が語られるのではとウワサされましたが結局それも叶わず、事実は藪の中となってしまいました。
スキャンダルから31年、あの時言えなかった事をもしかしたら言ってくれていたかもしれなかったのに残念ですが、でも今更言ったからってどうなるというものではないと思います。
彼の華麗なプレーに感動し興奮し元気をもらっていた人々は確実にいたのですから。
『フィールド・オブ・ドリームス』のテレンス・マンは架空の作家?
映画の中では個性的なキャラクターで登場しレイと共に自分の役目を模索しようとするテレンス・マン。
最初は突然自分を誘拐しようとするレイに対して威圧的な態度をとっていましたが、次々と訪れる奇跡に動揺しながらも冷静に受け入れる姿が印象的でした。
このテレンス・マンという人物もシューレス・ジョーと同じく実在の人物なのかなと思いきや、
テレンス・マンと言う人物は架空の人物です。
原作にもテレンス・マンという名前は出て来ません。
ただモデルにしたであろう作家は登場します。
それが、ジェローム・ディヴィット・サリンジャーというアメリカ人の作家さんです。
大学生の時に書いた処女作が新人作家を紹介する「ストーリー」に掲載され小説家デビュー。
第二次世界大戦の影響から帰国後はPTSDに悩まされ執筆できなくなりますが後遺症を乗り越え再び短編の執筆を開始。
1950年に書いた初めての長編『ライ麦畑でつかまえて』は主人公の暴力的なキャラクターに賛否両論があったものの多くの共感と話題を呼びベストセラーに。
一躍時の人となりますが主人公と自らを重ねたファンが自宅にまで来るなど周囲から注目を集めることを嫌ったサリンジャーは人目から逃れるようにニューハンプシャー州の南西部コーニッシュに土地を買いそこで慎ましく生活しながら執筆活動を行なっていたそうです。
それだけでなくさらに執筆に集中するため出版さえ止めてしまったと言います。
それでも晩年は地元住民との交流もあり決して孤独な生活を送っていたわけではありませんでした。
住民たちもプライバシーを重んじるサリンジャーを気遣って彼の私生活を口外しないようにしていたんだとか。
そういえば作中でもレイにテレンス・マンの居所を聞かれていたおじちゃんやおばあちゃんは彼の居所を教えることを頑なに拒んでました。
それにレイを追い出そうとバールまで持ち出すテレンスのあの狂気っぷり。
ちょっと笑えましたがプライバシーを重んじるサリンジャーをユニークに表現していましたよね。
サリンジャーが自分の名前を映画では使わせない、と弁護士を通して言ってきたのも
「プライバシーの侵害。」
という理由でした。
とにかく自分の生活をマスコミなどに乱されることが嫌いな方だったんですね。
実は一度サリンジャーの短編小説が映画化されたことがあったんですが、それがあまり評判が良くなくサリンジャー自身もその出来に激怒しそれから二度と自分の作品の映画化は許さなかった、ということがありました。
そんなことがあったせいで映画関連はもうゴメンだ、となってしまったのかもしれませんね。
『フィールド・オブ・ドリームス』のテレンス・マンは監督が作り出したキャラクター
この作品のテレンス・マンという人物はJ・D・サリンジャーという作家さんがモデルと紹介しました。
しかし参考にしたのは、
かつて若者たちに多大な影響を与えるも晩年は世間の目から逃れ隠遁生活を送った作家。
という部分くらいで
テレンス・マンのあのキャラクターはフィル監督がジェームズ・アール・ジョーンズという俳優のために作り上げたものです。
監督曰く
「主人公が誘拐を企てる相手なら大柄な男の方が愉快に違いない。J・E・ジョーンズが誘拐される姿を想像したら笑いが込み上げてきてわずか5分で人物像が出来上がった。セリフや仕草まで次々と浮かんだ。」
「特定の俳優のために書いた役ははじめてだ。出演が決まってよかった。テレンス・マンを演じるのは彼以外考えられなかった。」
とのこと。
作品を面白くするためのキャスティングだという証拠にサリンジャーとジェームズは体型も肌の色も似ても似つかない風貌をしています。
ちなみにJ・E・ジョーンズは家に届いていた脚本を先に読んでいた奥さんに「この映画に出るべきよ。」と勧められたんだとか。
奥さんも、脚本が気に入ったというのももちろんあるでしょうがジェームズが演じるこのテレンス・マンに何か縁を感じたのかもしれません。
『フィールド・オブ・ドリームス』のムーンライト・グラハムの逸話は本当だった!
映画の中でかなりの人格者として描かれていたムーンライト・グラハム。
実はムーンライト・グラハムは実在した人物で、しかも作中で語られてる逸話は全て実話だそうです。
新聞記事の「眼鏡やミルクが高くて手が出ないときもチザムの子には与えられた。それはグラハム先生のおかげ。先生がポケットにそっと眼鏡やミルク代、野球切符を入れてあげたから」という内容や
テレンスが取材で聞いた「白髪でいつも傘を持っていた。“女を追い払うため”と本人は言っていた。」
「青い服が好きだった奥さんに送るつもりでいた青い帽子が彼が亡くなった後、診療所からいくつも出てきた」
など映画の主人公にしたいくらい素晴らしい人物だったことがわかりますね。
ちなみにレイたちが最初にグラハムの事を尋ねた場所で一瞬野球現役時代のグラハムの顔写真が映りますが、あれは本物のムーンライト・グラハムです。
ムーンライト・グラハムは野球選手としての愛称で本名はアーチボルト・ライト・グラハム。
1877年生まれのアメリカ人で3年間マイナーでプレーし1905年にニューヨーク・ジャイアンツに登録。
その年の6月29日、ブルックリン・スパーバス戦で8回裏にジョージ・ブラウンという選手に代わって守備につきます。
そして次の回、あと一人が塁に出れれば自分の出番が回ってくる・・・はずでしたが残念ながらその前に試合終了。
ムーンライト・グラハムのプロの試合で打席に立つという夢はここで断たれてしまいます。
それから1907年まで再びマイナーで頑張っていたようですがその後は野球選手ではなく医者の道を目指し翌年に医学課程を修了。
映画の舞台になったミネソタのチゾムで開業医となり1915年〜1959年までは学校の主治医も務めました。
学校では医師としてだけでなく教鞭もとり野球のコーチも務めていたとか。
町の人々には無料で治療を施し、寒い場所に住んでいる人には治療の一環として自腹でストーブを買い与えるなど町の人々へ与えた影響がとても大きいかったことが撮影のための取材で分かったといいます。
作中ではムーンライト・グラハムの登場はとてもファンタジックに描かれていましたよね。
レイが夜に一人でチゾムの町を散策してると一瞬背後に身に覚えのある風貌の老人が視界に入りますがこの時は気にも留めません。
しかし徐々に町の違和感に気付き始めます。
ニクソンの再選のポスター
映画館には『ゴットファーザー』が“今年”のヒット作として公開されており
車のナンバープレートには1972年とありました。
そしてレイはさっきすれ違った老人が彼だと瞬時に気付くのです。
まるで主人公が過去にタイムスリップしたかのようなこの演出、ただグラハムの亡霊と出会うより神秘的でドラマチックで私は好きです。
いかがでしたか。
『フィールド・オブ・ドリームス』は実話でないとはいえ実在の人物たちがこんなに登場していたのには驚きましたよね。
作中ではそれぞれの人物が簡単な説明しかされてませんでしたが、こんなにも心に強く残っているのは俳優さんたちが彼らの人生や人柄を深く追求し演じてくれたおかげかと思います。
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