インディ・ジョーンズシリーズ第三弾『インディ・ジョーンズ・最後の聖戦』
インディと父親であるヘンリーがナチスに狙われながら共に聖杯の行方を追う冒険物語
今回は
◎『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』の騎士の正体や役目、表情から見える感情
◎インディやヘンリーの言葉の意味や感情
◎『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』で騎士を演じた俳優
について書いていきたいと思います!
『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』騎士の正体と役目
聖杯が収められていた場所に1人たたずんでいた老騎士。
彼は中世(11世紀末から13世紀)に西欧カトリック諸国が聖地エルサレムをイスラム教諸国から奪還することを目的にローマ教皇ウルバヌス2世の命で派遣された遠征軍「十字軍」の1人です。
ドノバンが言うには
アリマタヤのヨセフの手に渡った聖杯は1000年間紛失していましたが、十字軍に参加した3人の兄弟の騎士(老騎士とその兄弟)がそれを見つけます。
老騎士の二人の兄弟はその後150年をかけて砂漠を脱出しそのうちの1人は故国フランスへ戻りました。
彼は驚くべき長寿を全うし死ぬ前にすべてを修道僧に語りそれがまとめられた本もドノバンは持っていました。
本には聖杯が祀られている場所を示す二つの鍵となるものが書かれていました。(ドノバンの鉱山技術者がアンカラの北山で見つけた欠けた石板と図書館の地下の騎士の棺に入っていた盾)
そして老騎士は勇気ある騎士として聖杯を守る役を任命され、自分に一対一の戦いを挑むものが現れるまで700年もの間聖杯を守り続けました。
『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』騎士の感情を考察
インディが聖杯のある場所へたどり着くとそこにいた老騎士はインディに剣を振りかざします。
が、体があまりにも老いていたため2回目に斬りつけようとした時倒れてしまいます。
手を差し伸べてきたインディの顔を見た老騎士はまるで長かった自分の役目がようやく終われる、と言うかのようにほっとしたような穏やかな笑みを浮かべてインディを歓迎しあっさりと自分の剣まで譲ろうとします。
「騎士にしては変わった格好をしてる」と言ってインディが騎士の格好ではないと自覚しながらも
老騎士にはインディが聖杯を奪いにきた悪者(ドノバンたちのような)ではなく直感的に自分のような勇気ある騎士に思えたのでしょう。
『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』騎士が長く生きられた訳
インディが出会った老騎士は700年も前から聖杯を守り続けていました。
つまり700歳以上と言うことです。
他の亡くなった兄弟も150年と言う長い時間をかけて砂漠を脱出していることから
聖杯を見つけた時点で3兄弟は聖杯の水をを飲んでいたと考えられます。
しかし他の兄弟はすでに亡くなっています。
紋章は永遠の命の境界だと老騎士が言っていたように寺院の紋章より外に出たためでしょう。
老騎士は紋章の外に出ていなかったために700年もの間生きながらえることができたわけです。
しかしこんな場所で一歩も外に出ず命が尽きるまで聖杯を守るというのはかなり過酷ですよね。
老騎士が勇気ある騎士として選ばれたというのはこの場所にとどまり続けることができる勇気のことで他の兄弟たちにはその覚悟はなかったのかもしれません。
『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』騎士はなぜ聖杯の場所を記したのか?
悪人たちに見つからないよう秘密にしておけばよかったものを騎士の兄弟たちは聖杯が収められている場所へのヒントを石版や盾に残しました。
なぜか?
本来、聖杯やレイダースに出てきた聖櫃は信者たちに神の存在を信じさせ祈る対象となるべきものです。
それなのに完全に場所をわからなくしては聖杯が存在する意味がありません。
壊してしまうということも信仰心からできるわけがありません。
騎士たちが「聖杯を守る」と言うのは隠すと言う意味ではなくドノバンやエルザ、ナチスのような者たちから守ると言う意味だったと思われます。
そしてあの聖杯にたどり着くまでの罠も信仰心のがあるものだけが突破できるようになっていました。
インディに信仰心があったかは疑問ですが少なくともヘンリーにあつい信仰心があるのは作中でわかりますよね。
『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』騎士の最後の表情を考察
寺院が崩れていく中、ヘンリーは老騎士の存在に気付きます。
そして老騎士は死を覚悟し別れを告げるかのように右手を掲げます。
そして寺院が崩れ落ちる寸前にうつむく老騎士の表情はなんだか淋しげで悲しみも感じられました。
聖杯は崩れ落ちた寺院とともに誰の手にも届かない所へと行ってしまいました。
「もう守る必要は無い、ようやく死ねる」と老騎士は安堵したかもしれませんが、せっかく自分が長い間守ってきた聖杯が失われたことや信者が聖杯に祈る機会も失われてしまったことへの淋しさと悲しさが最後の表情に込められていたような気がします。
『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』インディやヘンリーの言葉の意味や感情を考察
インディはなぜ聖杯を当てられたのか?
ドノバンが間違った聖杯で水を飲み命を落とします。
インディは「イエスは大工だった」と言いながらかなり質素な杯を選び見事本物の聖杯を当てることができました。
大工は決して金持ちの仕事ではないから高価な杯はもたない、という考えからインディはこの聖杯を選んだのでしょう。
しかし、作中の聖杯は外見は地味ですが中が金色になっていて一瞬金でできてる?と思いませんでしたか?
でもエルザは聖杯は金じゃないと言ってましたよね。
おそらく大工=質素であることから飾り気もなく色も赤茶けた錆びたような色にすることで質素感を出しつつ、それでも聖なるものの感じを出すために内側だけは輝いて見えるように製作側が作ったのかな、と思いました。
インディはなぜ必死に聖杯を取ろうとしたのか?
エルザが奈落の底へと落ちてしまった後、インディがいた場所も崩れてしまい落ちそうになります。
そこへヘンリーがインディの手を間一髪のところでつかみますがインディもまたエルザ同様、聖杯に手を伸ばします。
この時なぜインディーはエルザの二の舞になるようなことをしたのか?
それはいつもの宝に対する感情とは違い、
父であるヘンリーにこの聖杯をあげたかったからではないでしょうか。
知っての通りヘンリーは生涯を聖杯探しに捧げてきました。
あの手帳に書かれているのは聖杯を探すための手がかりであり、映画冒頭のインディがボーイスカウトに参加していたとき(13歳の頃)から書いていたものです。
自分たち家族をないがしろにしてまでヘンリーが探し出そうとした聖杯がすぐそこにある。
そんな思いからインディは崖から落ちそうになろうとも聖杯に手を伸ばしたのです。
しかし、そんなインディにヘンリー自身が「(聖杯なんて)放っておけ」と言ってくれました。
しかもジュニアではなく自分が望むインディアナの名前で呼びかけてきます。
この時初めて「自分>聖杯」になっていたことに感動したインディは力強く父親の手を握りしめるのです。
ヘンリーが得た「光」とは?
映画のラストで寺院からインディたち4人が無事脱出。
寺院を眺めるインディにヘンリーはエルザの聖杯に対する思いを話し慰めます。
このときのヘンリーのセリフからインディがエルザのことを思いながら寺院を見つめているのかと思いました。
しかしそのあとですぐヘンリーに
「何か得たものが?」
と聞いていますよね。
なんでこんなこと聞くのかなと思いよく考えてみましたがインディはエルザの事よりやはり聖杯にまだ未練があったんじゃないでしょうか。
だからヘンリーに
‟聖杯を手に入れることができなかったのにこの旅に何の意味があったのか?”
を聞いてみたのです。
ヘンリーの答えは
「光だ」
でした。
この「光」とはなんのことなんでしょうか。
ここでインディの少年時代を思い出してほしいのですがインディがコロナドの十字架を持ってヘンリーのもとに駆け込みます。
その時ヘンリーはあの手帳に本に描かれた騎士の絵を写してしていました。
その時こんな言葉を呟いています。
「栄光の光を与えし者、我に光を」
この言葉、聖書の一節かと思い知らべてみたんですが、同じ文は見つけられませんでした。
なのでおそらくヘンリ―の言葉なんだと思います。
しかし、聖書には「神の栄光」や「光」という言葉は出てきます。
神の栄光とは「神様が起こす奇跡」をいうそうです。
つまり私たちが「神様って凄い」と思うようなこと。
だからヘンリーが言ったのは
「栄光の光」を与えし者=「奇跡を起こす神」
我に光を=「私に奇跡を見せてください」
という意味ではないかと思いました。
つまりヘンリーは騎士の絵を写しながら神に「聖杯のありかを教えてください」、と唱えていたんじゃないでしょうか。(聖杯がまさに奇跡のものですから。)
インディはヘンリーの手に聖杯が渡らなかったことを残念がっていたようですが
ヘンリーは最後に自分の探し求めていた聖杯を目にすることも、手にすることもできましたし、聖杯の奇跡によって命をも救われました。
そして何より仲違いしていたインディとこの冒険を通して絆を深めることもできました。
ヘンリーには充分すぎるくらいの「奇跡」が起こっていたのです。
この数々の奇跡=「光」と考えればヘンリーが最後に「光だ」と答えた理由に納得がいきます。
そしてこのときのヘンリーの清々しい表情を見れば彼の心が満たされているのもわかりますよね。
『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』騎士を演じた俳優は横浜出身だった!?
今作で重要な役どころである聖杯を守り続けてきた騎士を演じた俳優さんを皆さんはご存知だったでしょうか。
すでに戦う力を失った老騎士でありながらすごい存在感を放っていましたよね。
この騎士を演じていたロバート・エディソンという俳優さんはイギリス人ではありますが実は神奈川県横浜市で生まれ5歳くらいまで横浜で育ったそうです。
ロバート・エディソン Robert Eddison
本名 Robert Leadam Eddison
生年月日1908年6月10日
1991年12月14日没(83歳)
神奈川県横浜市生まれ
イングランドランカシャー州ブラックバーン育ち
身長191cm
土木技師だった父エドウィンと母ヒルダの間に4人兄弟のうち双子の一人として生まれました。
ご両親が横浜演劇クラブの会員だったことから演技と言うものを身近に感じて育ったロバートは幼い頃から俳優と言う職業に憧れを持っていました。
しかし彼が9歳の時父親が亡くなってしまい母のヒルダとイギリスに戻ることになります。
末っ子の弟ロジャーはこの時まだ6ヶ月でした。
はじめ医師になるための勉強をしていたロバートでしたが俳優を諦めきれずケンブリッジ大学の演劇クラブ(マーロー協会)の会員になっています。
この演劇クラブで演技力を磨いたロバートはロンドンなどの舞台でキャリアを積み注目されるようになると野外劇場やラジオ作品にも出演する様になります。
しかし、順調に俳優人生を歩んでいたのもつかの間、第二次世界大戦が勃発。
イギリス海軍兵として従軍を余儀なくされ、予定されていた舞台やブロードウェイの夢が絶たれてしまいます。
1946年、ようやく兵役があけると早速イギリスの劇団に入団。
多くのシェイクスピアや古典作品の舞台に出演しました。
特にオールド・ヴィックの『ハムレット』で主人公ハムレット役を演じたことで再び注目されるようになり、その後イタリアやニューヨークで行われた『十二夜』や『リア王』の舞台にも出演し、その高い演技力で賞賛を受けました。
その後多くのBBCドラマにも出演。その活躍が認められ1988年にOBE(大英帝国勲章士)が授与されています。
30歳の時に映画デビューも果たし、『イエローになった少年』(1972)や『バイス・バーサ』(1984)に出演。
『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』で聖杯騎士を演じた二年後のマイケル・ペイリン主演作『アメリカン・フレンズ』(1991)が遺作となりました。
死因は結腸癌とも言われていますが、タバコをよく吸う方だったようで気管支肺炎という情報もあります。
ハリー・ポッターのガンダルフ役を演じたイアン・マッケランとは親友だったとか。
なんと老騎士を演じた俳優さんが日本で生まれた方だったなんて誰が想像したでしょうか。
しかも戦争というつらい時代を経験してはいるものの、俳優としてこんなにも華々しいキャリアをお持ちだったとは。
ラストの少しの時間しか出演していないにもかかわらず、こんなにも強く印象に残るのはそんじょそこらの俳優ではなかったからだったんですね。
悪役ウォルター・ドノヴァン役を演じたジュリアン・グローヴァーはこの大物俳優との共演にかなり緊張していたそうですよ。
いかがだったでしょうか。
騎士が一体何者なのかや騎士の役目、表情から見る感情、
そしてインディやヘンリーの言葉の意味を考察してみました。
老騎士はラストにしか出てきていないのに存在感がすごくて考察したくなっちゃったんですよね。
そしてこの映画はキリストの聖杯を巡る冒険映画ではありますが、結論から言うとインディとヘンリーの親子の物語だったような気がします。
あくまで個人的考察なので共感できない点もあると思いますが、皆さんの方でも色々考察してみると楽しいんじゃないでしょうか。
『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』あらすじ(ネタバレ)、感想と考察、キャストや登場人物、吹き替えをした声優や無料で見る方法を書いた記事はこちら↓
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