「それを造れば、彼はやって来る。」
ある日謎の声を聞いた主人公レイはその声に従いとうもろこし畑をつぶして野球場を造り次々と奇跡を目の当たりにする。
野球を通して父と子の親子愛や夢をテーマに描いた感動作
『フィールド・オブ・ドリームス』
日本でも大ヒットしたこちらの作品を好きな映画の一つとしてあげる方も多いのではないでしょうか。
今回はその
◎『フィールド・オブ・ドリームス』は実話なのか?
◎『フィールド・オブ・ドリームス』が実話と言われる理由
をご紹介したいと思います!
『フィールド・オブ・ドリームス』は実話なのか?
単刀直入にいうと、
『フィールド・オブ・ドリームス』は実話ではありません。
原作者であるアイルランド系カナダ人作家のウィリアム・パトリック・キンセラがアイオワに住んでいる時、作家の集会に参加中に父親に聞いたブラック・ソックス・スキャンダルの話を思い出し
「現在のアイオワにジョー・ジャクソンが蘇ったらどうなるか」を想像して書いたお話です。
まぁこの作品が実話だと言われてもとうもろこし畑を潰して作った野球場にすでに亡くなっているかつてのプロ野球選手が野球をしに来た、なんて話信じられませんけどね。
『フィールド・オブ・ドリームス』が実話と言われる理由とは?
『フィールド・オブ・ドリームス』が実話と言われる理由のひとつに実在する人物たちが登場していることが挙げられます。
実在した登場人物たち
シューレス・ジョー・ジャクソン

引用元:Pinterest.jp
シューレス・ジョーは1908年から1920年までに3つの球団で活躍したアメリカ人の野球選手。
本名はジョセフ・ウォーカー・ジャクソン、通称ジョー・ジャクソンといって、ある試合で新しい靴が足に合わず靴下でプレーした(一日だけ)ことからシューレス(靴なし)・ジョーという愛称が付けられた大変人気のある選手でした。
しかし、
1919年にメジャーリーグベースボールのワールドシリーズでシューレス・ジョー含むシカゴ・ホワイトソックスの8選手が八百長に関わったとして球界追放処分を受けてしまいます。
この事件はのちにブラック・ソックス・スキャンダルといわれ野球界、そして野球ファンたちを騒然とさせました。
ホワイト・ソックス時代シューレス・ジョーはチームメイトの口利きでギャングから八百長を持ちかけられ5000ドルを受け取ったといいます。
しかし映画の中でレイが言っていたとおりシューレス・ジョーはお金は受け取ったものの試合でわざと負けるにはあまりにいい成績を残していました。
ワールドシリーズでは唯一の本塁打を打ち、エラーはなし。
生涯打率も三割五分六厘と史上3位の成績。
2024年、9月時点で日本のプロ野球1位の打率を誇る選手でも三割一分六厘という成績ですからその凄さがわかるかと思います。
八百長事件がなければおそらく殿堂入りは間違いなかったでしょう。
ジョー・ジャクソンがシカゴ・ホワイトソックスに入った前の年にプロ入りしその後殿堂入りを果たしているあのベーブルースも彼の打撃を参考にしたといいますから。
そして彼の伝説はこれだけにとどまりません。
日本が誇るあのイチロー選手が2004年に年間262安打という記録で塗り替えるまでは60年間、ジョー・ジャクソンが新人最多安打記録保持者だったのです!
八百長事件に関しては色々な見方があるようですがシューレス・ジョーという選手を失ったことは野球界にとって大きな損失であったことは間違いないですよね。
「ブラック・ソックス・スキャンダル」八百長事件の真相とは?
現役時代大活躍していたはずのシューレス・ジョーはなぜお金を受け取ってしまったのでしょうか。
実はホワイト・ソックスのオーナーが選手たちの成績に見合った年俸を払っていなかったことが背景にあるようです。
当時リーグ優勝までしていたチームでしたがなんと年俸は最低。
能力を正当に評価されず報酬が不当に低いことへの不満から選手の誰かが試合を放棄することを思いつきます。
その後チームは賭博の対象となりそこにマフィアまで絡んだことで八百長疑惑が浮上。
シューレス・ジョーは試合にわざと負けたことは認められず有罪とはなりませんでしたが事件に関わったとして追放処分を受けてしまったというわけです。
年俸が低い上にユニフォームのクリーニング代さえ自費だったことから選手たちの靴下は汚れたまま。
そのことからブラック・ソックス・スキャンダルという名前が付いたんだそうでいかに給料をケチられていたか・・選手達が不憫でなりませんね。
もう少し軽い罰でも良かったんじゃないかと思ってしまいます。
ただ時代が時代というか、当時永久追放するような権限が判事にありその判事が球界の危機を見逃すことができないとして厳しい処分に踏み切るしかなかったようです。
シューレス・ジョー自身も元は南部の炭鉱労働者で野球もその会社のチームに所属していました。
つまり田舎生まれで世間知らず。野球以外は無知だった事も事件に巻き込まれた要因だったかもしれません。
球界追放後のシューレス・ジョー
シューレス・ジョーは野球界追放後ジョージア州のセミプロリーグで野球を続けそれからは故郷サウスカロライナ州でバーベキューレストランや酒屋を経営していたそうです。
その後1951年に心臓発作で亡くなりました。64才でした。
実は亡くなる二週間前に「トースト・オブ・ザ・タウン」というテレビ番組に出演予定でそこで真相が語られるのではとウワサされましたが結局それも叶わず、事実は藪の中となってしまいました。
スキャンダルから31年、あの時言えなかった事をもしかしたら言ってくれていたかもしれなかったのに残念ですが、でも今更言ったからってどうなるというものではないと思います。
彼の華麗なプレーに感動し興奮し元気をもらっていた人々は確実にいたのですから。
テレンス・マン

引用元:people.com
映画の中では個性的なキャラクターで登場しレイと共に自分の役目を模索しようとするテレンス・マン。
最初は突然自分を誘拐しようとするレイに対して威圧的な態度をとっていましたが、次々と訪れる奇跡に動揺しながらも冷静に受け入れる姿が印象的でした。
このテレンス・マンという人物もシューレス・ジョーと同じく実在の人物なのかなと思いきや、
テレンス・マンと言う人物は架空の人物です。
原作にもテレンス・マンという名前は出て来ません。しかし、
原作にはジェローム・ディヴィット・サリンジャーというアメリカ人の作家が登場しておりそれを参考にしたと思われます。
ジェローム・デイヴィット・サリンジャーは大学生の時に書いた処女作が新人作家を紹介する「ストーリー」に掲載され小説家デビュー。
第二次世界大戦の影響から帰国後はPTSDに悩まされ執筆できなくなりますが後遺症を乗り越え再び短編の執筆を開始。
1950年に書いた初めての長編『ライ麦畑でつかまえて』は主人公の暴力的なキャラクターに賛否両論があったものの多くの共感と話題を呼びベストセラーに。
一躍時の人となりますが主人公と自らを重ねたファンが自宅にまで来るなど周囲から注目を集めることを嫌ったサリンジャーは人目から逃れるようにニューハンプシャー州の南西部コーニッシュに土地を買いそこで慎ましく生活しながら執筆活動を行なっていたそうです。
それだけでなくさらに執筆に集中するため出版さえ止めてしまったと言います。
それでも晩年は地元住民との交流もあり決して孤独な生活を送っていたわけではありませんでした。
住民たちもプライバシーを重んじるサリンジャーを気遣って彼の私生活を口外しないようにしていたんだとか。
そういえば作中でもレイにテレンス・マンの居所を聞かれていたおじちゃんやおばあちゃんは彼の居所を教えることを頑なに拒んでました。
それにレイを追い出そうとバールまで持ち出すテレンスのあの狂気っぷり。
ちょっと笑えましたがプライバシーを重んじるサリンジャーをユニークに表現していましたよね。
サリンジャーが自分の名前を映画では使わせない、と弁護士を通して言ってきたのも
「プライバシーの侵害。」
という理由でした。
とにかく自分の生活をマスコミなどに乱されることが嫌いな方だったんですね。
実は一度サリンジャーの短編小説が映画化されたことがあったんですが、それがあまり評判が良くなくサリンジャー自身もその出来に激怒しそれから二度と自分の作品の映画化は許さなかった、ということがありました。
そんなことがあったせいで映画関連はもうゴメンだ、となってしまったのかもしれませんね。
テレンス・マンは監督が作り出したキャラクター
この作品のテレンス・マンという人物はJ・D・サリンジャーという作家を参考に作られたと紹介しました。
しかし参考にしたのは、
かつて若者たちに多大な影響を与えるも晩年は世間の目から逃れ隠遁生活を送った作家。
という部分くらいで
テレンス・マンのあのキャラクターはフィル監督がジェームズ・アール・ジョーンズという俳優のために作り上げたものです。
監督曰く
とのこと。
作品を面白くするためのキャスティングだという証拠にサリンジャーとジェームズは体型も肌の色も似ても似つかない風貌をしています。
ちなみにJ・E・ジョーンズは家に届いていた脚本を先に読んでいた奥さんに「この映画に出るべきよ。」と勧められたんだとか。
奥さんも、脚本が気に入ったというのももちろんあるでしょうがジェームズが演じるこのテレンス・マンに何か縁を感じたのかもしれません。
ムーンライト・グラハム

引用元:pinterest.jp
映画の中でかなりの人格者として描かれていたムーンライト・グラハム。
ムーンライト・グラハムも実在した人物で、しかも作中で語られてる逸話は全て実話だそうです。
新聞記事の「眼鏡やミルクが高くて手が出ないときもチザムの子には与えられた。それはグラハム先生のおかげ。先生がポケットにそっと眼鏡やミルク代、野球切符を入れてあげたから」という内容や
テレンスが取材で聞いた「白髪でいつも傘を持っていた。“女を追い払うため”と本人は言っていた。」
「青い服が好きだった奥さんに送るつもりでいた青い帽子が彼が亡くなった後、診療所からいくつも出てきた」
など映画の主人公にしたいくらい素晴らしい人物だったことがわかりますね。
ちなみにレイたちが最初にグラハムの事を尋ねた場所で一瞬野球現役時代のグラハムの顔写真が映りますが、あれは本物のムーンライト・グラハムです。
ムーンライト・グラハムは野球選手としての愛称で本名はアーチボルト・ライト・グラハム。
1877年生まれのアメリカ人で3年間マイナーでプレーし1905年にニューヨーク・ジャイアンツに登録。
その年の6月29日、ブルックリン・スパーバス戦で8回裏にジョージ・ブラウンという選手に代わって守備につきます。
そして次の回、あと一人が塁に出れれば自分の出番が回ってくる・・・はずでしたが残念ながらその前に試合終了。
ムーンライト・グラハムのプロの試合で打席に立つという夢はここで断たれてしまいます。
それから1907年まで再びマイナーで頑張っていたようですがその後は野球選手ではなく医者の道を目指し翌年に医学課程を修了。
映画の舞台になったミネソタのチゾムで開業医となり1915年〜1959年までは学校の主治医も務めました。
学校では医師としてだけでなく教鞭もとり野球のコーチも務めていたとか。
町の人々には無料で治療を施し、寒い場所に住んでいる人には治療の一環として自腹でストーブを買い与えるなど町の人々へ与えた影響がとても大きいかったことが撮影のための取材で分かったといいます。
作中ではムーンライト・グラハムの登場はとてもファンタジックに描かれていましたよね。
レイが夜に一人でチゾムの町を散策してると一瞬背後に身に覚えのある風貌の老人が視界に入りますがこの時は気にも留めません。
しかし徐々に町の違和感に気付き始めます。
ニクソンの再選のポスター
映画館には『ゴットファーザー』が“今年”のヒット作として公開されており
車のナンバープレートには1972年とありました。
そしてレイはさっきすれ違った老人が彼だと瞬時に気付くのです。
まるで主人公が過去にタイムスリップしたかのようなこの演出、ただグラハムの亡霊と出会うより神秘的でドラマチックで私は好きです。
こだわった野球シーン
「野球」というスポーツが重要なテーマの一つになっているこの映画。
だからこそ監督はそれほど多くない練習シーンや試合のシーンでもこだわりをもって演出しました。
そのことがこの映画が実話と言われる理由のひとつになってると思われます。
野球ができる俳優をただキャスティングして自己流でやらせるなんてことはしません。
ロッド・デデオーという野球アドバイザーを雇い俳優たちをきちんと指導させました。
ロッド・デデオーは監督から依頼を受けた時の事をこう話しています。
『フィールド・オブ・ドリームス』はテーマの一つになっているとはいえ決して野球メインの映画ではありません。
にもかかわらずロッド・デデオーの心を射止めたのは脚本も手掛けた監督のこの作品への強い思いが伝わったからなんでしょうね。
そして何よりシューレス・ジョーがこの縁を結んでくれたのかもしれません。

引用元:Pintetest.jp
ちなみにシューレス・ジョーを演じたレイ・リオッタはほとんど野球の初心者。
20年ぶりに人前でプレーする羽目になり腰が引けたんだとか笑。
それでもロッドの指導のおかげで撮影までに守備の型も様になり、ヒットを飛ばせるまでになったそうです。
作中ではとても初心者には見えませんでしたよね。
そして名プレイヤーのオーラまで感じられたのはまさに俳優のなせる技と言えるんじゃないでしょうか。
監督がほぼ野球初心者のレイ・リオッタをわざわざ起用した理由をこう話しています。
これには私も激しく同意です。

引用元:Pinterest.jp
実際の野球選手として登場したのはシューレス・ジョーだけではありません。
スティーヴ・イースティンが演じたエディ・シーコット(ムーンライト・グラハムに試合でウインクされてキレていた選手。)
アート・ラフルーが演じたチック・ガンディル(ムーンライト・グラハムにウインク禁止、と言った選手)
マイケル・ミルホーンが演じたバック・ウィーヴァー(老人に戻ったムーンライト・グラハムに去り際に寂しくなる、と声をかけた選手)
皆シカゴ・ホワイトソックス時代にシューレス・ジョーと共にブラックソックス・スキャンダルで野球界を追放された選手たちです。
実際彼らがどんな人達だったかはわかりませんが作中ではお茶目で面白いキャラクターだったのが印象的でしたよね。
このように少ない野球シーンや選手を演じた役者たちを丁寧に描いたからこそ野球好きな人にも愛される作品になったんじゃないでしょうか。
『フィールド・オブ・ドリームス』が実話になっていた!
映画『フィールド・オブ・ドリームス』は実話ではないとお伝えしましたが実は
とうもろこし畑の中の野球場でメジャーリーグの選手たちの試合が実現したことがありました。
ゲーム名もそのものずばり「フィールド・オブ・ドリームス」で最初の試合は2021年のこと。
ロケ地である中西部アイオワ州ダイアーズビルのとうもろこし畑に(正確には隣)特別に造られた球場でシカゴ・ホワイトソックス対ニューヨーク・ヤンキースの公式戦が開催されました。
しかも映画のワンシーンを再現するかのように選手たちがとうもろこし畑から登場するという映画ファンにとっても野球ファンにとってもたまらないにくい演出が!

引用元:Pinterest.jp
しかもしかも主人公レイを演じたケビン・コスナーも登場するといううれしいサプライズも!
ケビン・コスナーはゲーム開始前に「夢は生き続ける。」と挨拶をすると観客に対して「ここは天国か?」というあの名セリフを投げかけ会場を大いに盛り上げたそうです。

引用元:desmoineregister.com
映画の舞台そのものが実現しただけでなく主人公までが現れるなんてこの球場に来ることができた観客は本当にラッキーでしたよね。
羨ましすぎます。
ちなみに試合は9-8でホワイト・ソックスのサヨナラ逆転勝利で幕を閉じました。
その次の年もレッズとカブスの公式戦が行われ、2022年にカブスに入団を果たしていた日本人選手の鈴木誠也選手も出場。
「球場に出た瞬間にすごく鳥肌が立って早く野球がしたいなと言う気持ちになりました。」と語ったそうです。

引用元:Pinterest.jp
鈴木選手もおそらく映画は観ていたでしょうからその舞台に自らが立てるなんて夢にも思っていなかったんじゃないでしょうか。
しかも1回に先制につながる二塁打を打ちチームも2-4と勝利を飾っています。
「フィールド・オブ・ドリームス」に出場した日本人選手は鈴木選手だけなのでそういった意味でも貴重な体験ができたんじゃないでしょうか。
「フィールド・オブ・ドリームス」はその後2023年にも行われる予定でしたが、
球場周辺に青少年のための野球施設が2022年から着工されることになりこの年は開催されませんでした。
2024年もこのとうもろこし畑での試合開催は行われませんでしたが代わりにアメリカで最も歴史のあるバーミンガム・ブラックバロンズの旧本拠地、リックウッド・フィールドという球場で「フィールド・オブ・ドリームス」は開催されています。
とうもろこし畑から選手たちが登場する、という場面をもう見ることはないのかなと思うとちょっと寂しいですね。
いつかまたあのシーンを見れる日を待ちたいと思います。
このように実際にとうもろこし畑を舞台に野球の試合が行われていたことも『フィールド・オブ・ドリームス』が実話と言われた理由のひとつなのかもしれません。
いかがでしたか。
『フィールド・オブ・ドリームス』が実話と言われるのには監督や製作者たちの強いこだわり、物語と野球への強い愛があったからこそだったんですね。
作中では人物の説明がそれほどなかったにもかかわらずこんなにも心に強く残っているのは俳優さんたちが彼らの人生や人柄を深く追求し演じてくれたおかげかと思います。
『フィールド・オブ・ドリームス』のテレンス・マンが最後どうなったのかを考察した記事はこちら↓

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